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Vol.16 2004年10月16日 
―60年ぶりの異常気象―
 来年2月に行う写真展「豊美なる伝統行事・ヒンドゥークーシュ山脈の異教徒カラーシャ族」の件についての問い合わせのために、会場の東京新宿・コニカミノルタフォトギャラリーに国際電話をしに10月5日にチトラールに出た。今年から、チトラールの電話局もコンピューター化されて、時間と料金が電話の目の前に表示されるし、料金も安くなったので、以前のように、一大決心して日本まで電話するということはなくなったのはいい傾向だ。

 その電話局の前で人だかりがしていたので、覗いてみると、魚屋さんが魚を料っていた。肉の文化圏パキスタンの中でも海から最も遠いチトラール地方で魚屋さんを見るのはめったなことではない。チトラール地方にも鱒などの清流に生息する川魚はいることはいるが、地元の人は積極的に取って食するようなことはしない。魚の国日本から来た身としては、日頃から残念に思っていたものである。

 ピンク系の大きいのと、黒くて細いのと2種類の魚がかごに並んでいる。どこの産地かと魚屋さんにきくと、「カブール」という。ほんとうにカブールからかどうかわからないが、アフガニスタンから国境の村アランドゥ経由で持ってきたのはまちがいなさそうだ。1キロ80ルピーで牛肉と同じぐらいの値段である。黒い方の魚を見て、「こりゃあ、塩焼きにして、村串さんが持ってきてくれたお醤油をつけて食べるとうまそうだわい」と、1キロ(3尾)買う。

 大事にジープにぶら下げて家まで持ってきたが、結局、塩焼きは肉が厚くて火が通らないだろうという村串さんの意見を取り入れて、切り身にして、小麦粉をまぶしてムニエルにする。小骨が多いのが難だが、村串さんと二人で、久しぶりの魚に舌鼓。地酒のアンズの焼酎を飲みながらの優雅な晩餐会になった。翌日のランチには、魚の頭でダシを取った味噌汁(インスタント味噌汁にほうれん草をまぜただけですが)を作り、残りの魚を食べ、二日間たっぷり魚を堪能した。

 2日後の10月8日、朝から小雨。そしてビリール谷でのプー祭(ぶどうの収穫祭)の最終日。今年はボンボレットで巨大な建物を建築中のギリシャ人がジープ代を持つというので、村の若者や娘たち、長老が出かけていった。ちょうど議長のゲストハウスに2泊していたイギリスのグループツアーの旅行者たちも、山へのハイキングを取りやめて、ビリールに行った。私も誘われたが、多目的ホールのために仕事をしている大工さんにお茶や食事を出さねばならないので行かなかった。後できくと、向こうは大雨で,祭りどころではなかったという。

 午後4時から、早めに電気がついたので、パソコンを開いて、名刺や写真をプリントアウトしたり、NGO活動の収支などを打ったりしていたが、8時過ぎに、雷を伴なう雨が降りだしたので、電気が切れる恐れがあり、打ち留め。夜中、強風と豪雨で、始終、ガラガラと対岸の崖くずれで落石する音が聞こえてくる。その後ついに停電になる。

 翌日の早朝、村にこれだけ雨が降ったのだから、山羊の群れのいる高地は相当の雪が降っているはずで、そうなると、屋根なしの囲いにいる山羊たちに被害が及ぶので、山羊を下に下ろさねばならないと、男たちは夫々の夏の放牧場に向かった。

 それでも私は能天気で、ベランダのおんぼろストーブに火を焚きつつ、チャイ、その後飲み水のために湯を沸かし、湯ざましなどを作りながら、手すき紙のフレームに飾る手織り紐に刺繍をほどこす作業をしたりしていた。昨夜あれだけ相当の量の雨が降ったので、雨は昼には止むだろうとかなり確信していたのに、どんよりした黒い雲がすぐ向こうのグロム村まで降りてきて、雨脚は衰えることを知らず。だんだんベランダにいるのが寒くなり、下の母屋に暖をとりに行く。電気がないので家の中は真っ暗で何をすることもできない。

 午後遅くなって、なんと雨がぼたん雪に変わる。近年、冬でも雪が降らなくなっているのに、10月に雪が降るとはびっくり。すぐ上流の畑にいる親戚一家が、雨漏りがひどいのと、土砂くずれの恐れがあるので、下の母屋に避難してくる。途中橋のたもとの崖がくずれていてこわかったと乳飲み子を抱えた嫁さんが言う。村のそばの畑も土砂が流れてだめになったという。すぐまた雨に変わるだろうと思っていたが、そのまま雪は降り続ける。

 電気もなし、水も泥水、ランプの灯油も店屋にもなく、真っ暗の中、早く寝るしかない。

―10月10日―  
折れた木々の枝を背景に、屋根の雪かきをする村人。
 朝起きたら晴れているだろうと思ったが、雪は止まず。雪は屋根に15センチぐらい積もっている。辺りをよく見ると、降り積もった雪の重さに耐えかねて、そこらじゅうのクルミや桑、アンズの木々の枝がぱっくり折れている。まだ木々に葉があったので、葉に雪が積もって重さが必要以上に加わってこんなに無残な結果 になったのだろう。うちの庭のクルミ、桑、アンズ、ぶどう、りんご、なし、すべての果 物の木が折れてしまった。

 夕方近く、高地から下ろした山羊の群れが下りてくる。雪でずぶぬれになって、山羊もかわいそうなくらい弱っている。寒さで多くの子山羊が死んだり、病気になったりしたという。放牧場は、深いところでは腰まで雪があったというが、男たちは装備どころか、ぺらぺらのシャワール・カミーズの上に1枚セーターかコートを羽織い、足にはビニール靴を履いただけで、よくまあ雪山の中、あちこち勝手に動く山羊を誘導して下ろしてくるよと、感心してしまう。

―10月11日―
 ようやく天気回復。水道の水も止まっているので、外の机や木枠に積もった雪をバケツに集めて急場をしのぐ。近くを歩いてみて、あらためて被害の大きさを実感。あらゆる場所の木々の枝が折れ、その折れた枝に電線がからまって切れている。チトラールにいっていて帰ってきた人の話では、冬でも雪が降らないチトラールでも雪が降り、電気、水道、電話すべてが止まっていたということ。道もいたるところで決壊していたが、修理された。しかしアユーンから谷までの道路は今でもずたずたで、しばらくはジープも通 らないだろうとのこと。ラワリ峠もシャンドゥール峠も閉ざされて、チトラール地方は閉ざされているという。家や壁が崩れて下敷きになったりして、10名の犠牲者がでているらしい。ルンブール谷で犠牲者がでなかっただけ、不幸中の幸いともいえるだろう。この時期にこんなに大雪が降るのは60年ぶりのことらしい。雪が残っていて、しんしん冷えるので、夜は湯たんぽを入れて寝る。

―11月2日―
昨日、大使館からのEメールをチェックするためと、村串さんを送るために、よっこらしょと閉ざされたルンブール谷からチトラールへ出てきた。道路も大半が修復されてはいるものの、ルンブール谷の中の1ヶ所はすぐには直らないと思われる。直っている道路といっても、土砂の上のぎりぎりの幅の所を無理やりに通り抜けるという段階で、ボロジープが横に45度ぐらい傾いたりして、こわいのなんのって!
 
 「草の根無償援助に申請中であった水力発電所プロジェクトの認可が下りた」との連絡が日本大使館から入っていて、バン万歳。昨年に申請して以来、数え切れないほどの連絡のやり取り、大使自らの視察訪問などがあって、晴れて承認されたわけで、喜びもひとしおだが、これからプロジェクトを遂行していく責任の重さも、なで肩の肩にずんずん感じる。このプロジェクトの契約のために、さっそくイスラマバードに行くことになりそうだ。

 もう一つ、東京の写真展の案内ハガキのレイアウトができて、メールで送っていただいた。このホームページにもさっそく載せましょう。このホームページをボランティアでやっていただいているデザイナーでミュージシャンのジョジョ沢渡、よろしくお願いします。(終)
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